masuse's blog

エッセイなどを書いております。

[エッセイ]プラス領域の自己実現と、マイナス領域の自己実現

 自己実現とは、「なりたい自分になること」という認識が一般的だろうけれども、それは半分は間違っている。自己実現とは、自分自身になることだからだ。自身の潜在的な可能性を開拓していくことだから。その方向性と合致していないのならば、「なりたい自分」になることは、自己実現的ではない。それは、他人になるということだ (それがいけないというのではなく。それは単に自己実現的ではないということ)

 私は自己実現とは、「マイナス領域の自己実現」と、「プラス領域の自己実現」とがあると考える。

 マイナス領域の自己実現とは、神経症からの回復を指す。つまり、抑圧を解いていく段階だ。

 そして、その座標軸を超えた先に、プラス領域の自己実現がある。プラス領域の自己実現とは、自身のネイチャーを見つけ、それを開拓していく段階を指す。つまり、自分自身の方向性・指向性を捉え、それを発達させていく段階だ。自分自身のなかに種を見つけ、それを育てていくこと、自分自身の目指すものは何かをとらえ、それを追い求めることだ。

 神経症的ではないのなら、初めから、プラスの自己実現段階からスタートを切る。逆に、神経症的であるということは、人生のトラックを逆走するということに他ならない。自分ではない自分を目指すということなのだから。

 ここまで書いて思い出したのが、スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』だ。物語の冒頭で、レースが行われる。皆が一斉にスタートを切るなか、主人公一人だけがスタート・ラインに留まり、それどころか逆走までし始める。しかし、実はそれが、正しいコースだったのだ。主人公はレースにゴールし、宝を得る。

 このレースは、現実の人生のメタファーなのではないだろうか? 私がこのエピソードを見て思い出したのは、さかなクンエジソンの自叙伝だった。